仕事柄、検品には細心の注意を払いますが、これは当然のこと。
検品作業というのは欠点を見つける一種のあら探しのようなもので
プライベートで何かを買うときも、この検品癖が出てしまうことがたまにあります。
「あっ見つけた!」なんてね。
これって、いいんだか悪いんだか…
でも、近年アンティークカップやシルバーに触れる機会が増えたせいか
私の心の中で何かが少しづつ変わり始めています。
アンティークやヴィンテージ品は、長い時代を経てきたものゆえに
新品にはない擦れや傷など、何かしら欠点と呼ばれる部分があります。
以前の私なら、私物購入の際でも、擦れ+傷⇒⇒絶対ダメ!NO!でした。
なのに、なぜ今アンティークに惹かれるんでしょう。
アンティークに限らず、欠点部分ばかりに気を取られると、
いい部分がちっとも見えてこないのが常です。
でも少し離れて全体を見ると、本来の持ち味がじわじわと…
これは人の場合でも同じことがいえるんじゃないかなと、最近気付いたんです。
ちょっと離れて全体像を見てみる、(距離感て大事ですよね)
そうすると、欠点だと思っていた部分が、個性の一部・持ち味⇒「面白い」と思えて
妙に親近感が持てたりするから不思議です。
お節介=親切、短気=反応はやい、おしゃべり=明るい、無口=思慮深いかも
まあ、人間関係の場合は生身の相手があってのことなので
そうそう優等生ぶったことばかり言ってられないケースもあるでしょうが
要は、人にしろ物にしろ、個性をどう受け止めるかってことなんでしょうか?
最近商品アップしたエインズレイのアンティークカップは120年前のもの。
人間様より長生きしています。
作品の豪華さにまず目を奪われます。
この時代の手描き職人の丁寧な仕事ぶりが伺え、「へぇ〜」と感心。
120年もの間、どんな人たちの目を楽しませ心を癒してきたのでしょうか?
そして、今もなお こうして無事に存在していること自体が
すごいじゃないの!と、しみじみ思うのです。